らすべぇ~の ラスベガスじゃないブログです 💜
道東の網走・北見に、2泊3日で旅行中。
網走といえば…
「博物館 網走監獄」でしょう。
TVで見たことはあるけど、行くのは初めて 🔰
楽しみ~
どうぞ、お付き合いくださ~い 🙇
網走監獄へ
宿泊していた「北天の丘 あばしり湖 鶴雅リゾート」をチェックアウト。
ホテルの記事はコチラ 👇
素敵なホテルでした~ ✨
次の目的地は、網走監獄。
ホテルから約6km。
網走湖を眺めながら、国道39号線を北上します🚗💨
〒099-2421
北海道網走市呼人1-1
TEL 0152-45-2411
網走監獄は、網走国定公園の天都山網走湖側にあります。
博物館 網走監獄は、どんなトコロ?
明治時代に受刑者によって造られ、実際に使用されてきた建物を移築した野外歴史博物館です。
網走監獄は、元々は別の場所にあったそうです。
網走刑務所の改築計画に伴い、建造物が昭和56年以降順次現在地に移築されました。
博物館 網走監獄 公式サイトより引用
広大な敷地に、重要文化財8棟を含む歴史的建造物25棟が保存展示されています。
現存する木造行刑建築物としては世界最古 ❕
建築物の鑑賞だけでなく、受刑者たちの過酷な暮らしや 北海道開拓の歴史との関わりを知ることができます。
網走監獄に収監~(見学)
網走監獄に到着しました 🚗
駐車場は無料です。
鏡橋
駐車場から監獄入り口の間に架かる「鏡橋」 👇
橋は4回架け替えられているそうですが、この橋は大正6年に架けられた2代目の橋を再現したもの。
囚人は収監時も出所時も、刑務所の外堀に沿って流れる網走川に架かる橋を渡らなければなりません。
「川面に我が身を映し、襟を正し、心の垢を拭い落とす目的で岸に渡るように」と、鏡橋と呼ばれるようになったそう。
私達も、襟を正して渡ります 🚶🚶
入館受付
鏡橋を渡ると、入館受付がありました。
ここでチケットを購入します。
大人1人 1,500円(2022年5月の入館料)
ホテルに置いてあった割引券で、10%OFFになりました。
入館受付で貰ったリーフレット 👇
網走監獄の中、見るポイントが多い ❕
順路を気にして歩いたほうが良さそうね~。
それでも、時間がかかりそう
Let's Go~ 🚶🚶
正門
いざ、収監~(入場)
ココが、「赤門」と呼ばれている正門。
立派で大きな門です。
明治23年創設当初は木造でした。
明治45年からレンガの製造をはじめ、5年かけて築造。
受刑者によって、正門や赤レンガ塀が造られたそう。
門をくぐる前に、看守さんにご挨拶。
正門の内側左右には部屋があり、面会人の受付や待合室に使われていました。
庁舎
正門を抜けると…
水色とグレーの外観の西洋風の建物が見えます。
国指定重要文化財「庁舎」です。
明治42年の火災で全焼し、その後の復旧工事で建てられたもの。
当時の この地方では近代的で、ボイラーや蒸気による発電設備が備えられ、網走で最初の電気が灯りました 💡
庁舎に電気が灯ると、網走の人々は「最果ての不夜城」と呼んでいたそう。
管理部門の主軸となる建物でしたが、1988年に移築。
ここでは、ビジターセンター的な役割を担っているようです。
北海道開拓の歴史や建造物の紹介、資料の展示などがされていました。
佐藤久翁之像 👇
網走新聞社オーナーだった佐藤氏。
網走刑務所の改築計画により貴重な建築物が失われることを憂いて、移築保存を提唱したのだそう。
この方のおかげで、「博物館 網走監獄」があるのですねぇ~。
ちなみに、この博物館の 初代理事長!
庁舎内にはミュージアムショップがあります。
「いらっしゃいませ!」
この人(人形)は…
バイトリーダーの 丸池五九郎さんです 😅
店内には、網走刑務所作業製品や…
オリジナルTシャツが販売されていました。
そして、ゴールデンカムイ関連のお土産 👇
お土産だけでなく、ゴールデンカムイ関連の展示もありました。
ゴールデンカムイは漫画もアニメも映画も見ていない私達 😢
読んでおけば、網走監獄がもっともっと楽しめたなぁ~と思います。
作者の野田サトル先生のサイン。
お笑いコンビ「錦鯉」のサインも…?
ゴールデンカムイのポスターと一緒に飾られていました。
お土産は網走監獄を出てすぐにある物産館でも購入できますが、品ぞろえが少し違っていました。
ここで買っておけば良かった~っと、後で後悔したお土産品が… 💧
裏門 & 水門
登録有形文化財「裏門」 👇
通称「通用門」
受刑者がレンガを積み上げ、1080mの赤煉瓦塀を5年かけて完成させたもの。
何でも受刑者がつくってたのね~
平成5年までの70年間、実際に使われていました。
受刑者が塀の外の作業所(農場・養豚場)に出かける時に通ったそう。
登録有形文化財「哨舎」👇
外部からの侵入や受刑者の行動監視をするための見張所。
所内に8カ所設置されていました。
博物館 網走監獄には、4棟あります。
刑務所水門(再現構築物)
いかだで肥溜めを載せ、農場に運ぶ様子を再現 👇
網走川を利用して生活物資を運び入れたり、農場へ肥料を運ぶ等、水路として活躍。
もちろん、水門も受刑者がつくったそうです。
昭和31年まで利用されていたらしい。
旧網走刑務所職員官舎
通称「看守長屋」
明治45年から、幾度もの補修を経て、昭和58年まで刑務官の住宅として利用。
木造長屋の三軒長屋。
1軒の広さは9坪。
間取りは、現在でいう1LDK。
レトロな台所~。
昭和50年代まで、網走川の両河畔に176戸あったそうです。
ここの生活は、冬は寒くて辛そう 🥶
休泊所
別名「動く監獄」
受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業をする場合に寝泊まりする仮小屋です。
明治24年、札幌と網走を結ぶ中央道路の開削に、1000人以上の受刑者が投入されました。
工事の進行とともに次々と休泊所を建てて、解体しては移動していったそう。
寝床は板張りで、夜具は薄い柏布団一枚。
展示されている布団は、厚みを感じますが…
罪因の枕は、丸太を半分に切った半円木と定められていましたが、休泊所などでは1本の丸太のまま使われたこともあったらしい。
朝になると、丸太の一端を叩いて一斉に起こしたと言われています。
ひ、ひどい…
釧路地方裁判所 網走支部法廷復原棟
この建物、外観は旧網走区裁判所の外観を再現。
内部は、昭和27年から平成3年まで使用していたものを配置しています。
明治時代の裁判官の法服 👇
職務別に唐草模様と色が決まってたようです。
裁判の様子が再現されていました。
この地域で発生した様々な事件が裁かれ、実刑判決を受けた被告人の多くは網走刑務所で服役したそう。
私達も、裁判を傍聴。
どんな罪を犯したのかは???
自給自足を目指していた刑務所
網走刑務所は、自給自足を目指していた農園刑務所でもありました。
生活にかかわる多くの物を囚人たちがつくっていたそうです。
味噌・醤油蔵(再現構築) 👇
味噌や醤油などの調味料を製造。
樽は、すっごく大きい 😲
9000リットルの醤油が入るんですって~。
仕込みの手加減で微妙な味になるため、経験の長い受刑者が専属。
熟練の技…
耕耘庫(再現構築) 👇
網走刑務所は、畑の面積が日本一。
農機具や肥料を入れる倉庫や、農作物を入れる小屋などが10棟あったそうです。
札幌農業伝習学校(現在の北海道大学農学部)卒業の技官を採用し、進歩した技術を取り入れていました。
稲架掛け。
刈り取った稲を、天日で自然乾燥しています。
45000坪もの水田があったそうですから、大変な労力だったでしょうね 🌾
漬物庫(再現構築)👇
直径・深さが 1.6mもの大きな樽。
ここでできた沢庵の味は、天下一と言われるほどの評判だったとか…。
監獄歴史館
北海道開拓、網走監獄の歴史を紹介する展示施設です。
メインは「赫い囚徒の森」という体感シアター。
左右前方の3面に映像が映し出されます。
中央道路の開削をテーマにした7分間の映像展示。
五か国語対応です 😉
当時、日本が経済的に発展するためと、ロシアの脅威から日本を守るという軍事上の理由で、北海道の開拓は急務。道路開削工事が不可欠 ❕
その労働力に囚人を使う。
そのため、北海道の各地に監獄がつくられていきました。
網走刑務所は、「網走囚徒外役所」と呼ばれ、明治23年1200人もの囚人が工事の為に送り込まれました。
網走囚徒外役所の担当は、網走から北見峠までの163km。
私達が、何気なく利用している道路は囚人達のつくった道…。
そういうコト、知らなかったな 😔
スクリーンでは、過酷な労働の様子が…。
道なき道を人力のみで開削する工事は、険しい地形と熊との戦い。
山中深く移動するにつれて、栄養失調やケガなどで死亡者が続出。
200人以上の犠牲者を出しました 😢
工事は昼夜兼行で強行し、わずか8か月で開通させました。
北海道での囚人労働は炭鉱や硫黄採取でも行われ 多数の犠牲者を出していますが、特にここ犠牲者が多く「囚人道路」と呼ばれています。
囚人の過酷な労働に対し「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と国会で追及され、明治24年に囚人による労働による外役は廃止されました。
このシアターは歴史館の吹き抜けになった部分にありました。
上の階はその吹き抜けを囲むように通路4があり、色々なものが展示されています。
監獄の歴史や囚人たちの暮らしぶりを知ることができます。
なぜか 熊の頭蓋骨 👇
これは、3頭の熊が農場に現れ、ケンカで死亡した1頭のもの。
180㎏以上を持ち帰り、職員で熊鍋にして職員で食べたそうです。
熊の頭蓋骨って長いのね~ 🐻
新法に基づく現在の網走刑務所居室も再現されています。
共同室(6人収容)👇
現在は居住空間向上のため単独室を増やし、網走刑務所でも単独室のほうが多いそう。
単独室 👇
TVもあるなんて、びっくり 📺
1Fにある「網走監獄 監獄写真館」 👇
囚人っぽい写真が撮れちゃいます 📸
旧網走刑務所 二見ケ岡刑務支所
国指定重要文化財「旧網走刑務所 二見ケ岡刑務支所」です。
網走刑務所は、自給自足を目指した農園刑務所。
現在も収容者が作物の管理から収穫まで自律的に行う開放的処遇施設です。
二見ケ岡刑務支所は、網走の西方丘陵地に設置されました。
現存する木造刑務所として最古で、平成11年に博物館へ移築しました。
庁舎 👇
教誨堂 👇
食堂 👇
メニュー 👇
こちらのメニューは、「監獄食堂」で食べられるようです。
入館受付する前にあるので、網走監獄の入館料を払わなくても入れます
たま~に、ココでお食事ができるイベントがあるようです。
収容者の生活の様子 👇
作業場 👇
外での作業ができない時に、こんな感じで作業していたようです。
この人達は、小豆の選別。
窓側では、藁で何かをつくったり…。
右奥の階段から2階へ上がれますが、倉庫だったのかな?
何~にもありませんでした。
左奥に見えるのは、トイレ 🚽
丸見えデス
炊場 👇
浴場 👇
右奥の囚人さん、気持ちよさそう~
廊下 👇
庁舎・舎房・教誨堂・鍵鎖付着所・炊場の5棟は、もともと独立して建っていたそう。
大正以降、渡り廊下で接続したらしいです。
舎房は東と西で2舎ありましたが、創建当時は北側にも舎房があったそうです。
廊下の中央にはストーブ台 👇
暖房は、これだけ!?
寒い、寒すぎる 🥶
1舎に6畳の雑居房が20房。
雑居房だから、複数人で使っていたのでしょう。
トイレのマナーの悪い人が同房だと、イライラしそう!
両手片足錠・枷・鎮静衣・防声具 👇
乱暴な行動や犯行・大声でわめいたり抑止の効かない時や、自殺・自傷を繰り返すおそれのあるものに使用。
現在は、保護房に収容するようになっているそう。
二見湖畔神社 👇
大正2年に二見ケ岡農場の受刑者が建てた神社。
春の種まきから秋の収穫を祈願し、収穫祭なども行われていたようです。
登り釜(再現構築物)
刑務作業として、監獄用地内の粘土を使用しレンガを製造。
正門や懲罰房、倉庫などをがつくられたそう。
舎房及び中央見張り所
国指定重要文化財「舎房及び中央見張り所」です。
TVで見たのは、ココ ❗
一番見たかったところです~。
中に入ると…
八角形の中央見張り所があります。
ここを中心に、放射状に建つ5つの舎房。
少ない人数で、監視できるようになってるらしい。
写真には納まらないケド… 💧
舎房2つなら、同時に見えますね~。
上空から撮影した写真 👇
博物館 網走監獄 公式サイトより引用
渡り廊下で5つの舎房が繋がっています。
五翼放射状平屋舎房と呼ばれ、現在この形式の木造舎房としては世界最大で最古。
天窓から自然光が入り、美しい空間。
このガラスは、厚さ7mmの鉄線入りガラス。
通路と廊下を隔てる壁は堅格子で、平行四辺形断面や「く」の字形断面の格子。
換気や暖房に配慮しながら、向かいの部屋が見えないようにし囚人達の交流を妨げる工夫されています。
第4舎80房と、第5舎奥の20房以外は、雑居房が226房。
独居房は、1.5坪。
雑居房は、3坪。
独居房 👇
トイレは、板で目隠し。
雑居房のトイレは曇りガラス。
房内作業中 👇
便箋や封筒、マッチの軸をつくったり…。
懲罰執行中 👇
反省中…
第4舎24房 👇
ここに収監されていたのは、昭和の脱獄王」と呼ばれた白鳥由栄。
26年もの服役中に4回の脱獄を成功しました。
ゴールデンカムイの白石由竹のモデルになった人物です。
青森と秋田で脱獄をしていて、逃亡罪で網走刑務所へ…。
視察孔にネジ留めされていた鉄枠。
ネジに毎日味噌汁を吹きかけ、その塩分でネジを腐食させて外したそうです。
すごい執念…
鉄枠を外したとはいえ、視察孔の大きさは20㎝ ×40㎝。
白鳥由栄は関節を自由に脱臼させることができたので、抜け出ることができました。
そして、天井のガラスを頭突きで破って脱獄。
暴風雨の日だったそうです。
白鳥由栄、何処かにいます 👇
アップでパチリ 📸
身軽になる必要があったから、褌だけのお姿…。
運動神経も良かったんですね~
白鳥由栄が脱獄した理由は、不当な処遇。
夏は厚着。
房からほとんど出すことなく、手錠や足錠をつけたまま拘禁。
蛆が湧いたり…。
真冬は薄着1枚。
極寒の網走ですよ~。
真冬は-15℃を下回ることが多いのに 😰
廊下にある暖房 👇
開設当時は、このような薪ストーブ。
時代とともに、石炭、石油、スチーム暖房へと変わっていったそうです。
廊下の暖房だけでは、絶対に寒い、凍える 🥶
網走刑務所にいた有名な脱獄王がもう一人。
日本で最も多く脱獄を成功(6回)させた 西川寅吉です。
別名「五寸釘の寅吉」
秋田刑務所から脱獄した時に 五寸釘の刺さった板を踏み抜き、捕まるまで約12km走って逃げたとことからこの異名がつきました。
(寅吉の体は、痛覚のない特異体質だったらしい)
明治23年、できたばかりの網走刑務所に収監されました。
網走刑務所では模範囚。
門前の掃除係などを務めたそう。
正門の前に寅吉の人形があるらしいのですが、気づかなかった 💧
博物館 網走監獄 公式サイトより引用
作業賞与の中から妻子に送金し、手紙も出していたそう。
浴場
脱衣所 👇
明治42年の大火で焼失後、コンクリートの浴槽にボイラーで湯を沸かす近代的な浴場をつくりました。
二見ケ岡刑務支所の浴場と似た感じです。
こちらの方が、広いです。
入浴は15人ずつ。
看守の号令のもと、脱衣・第一槽入浴・洗身・あがり湯(第二槽入浴)・着衣が各3分計15分だったそうです。
煉瓦造り独居房
写真左側が、登録有形文化財「煉瓦造り独居房」 👇
この独居房は、明治末期につくられたもの。
窓がなく、扉は2重、レンガの壁の厚さは40㎝以上。
明治時代、規則違反者を窓のない真っ暗な部屋に閉じ込め、食事の量を減らし、一定期間生活させる罰があったそうです。
辛いし、怖いかも… 😰
教誨堂
国指定重要文化財「教誨堂」です。
収容者に対する精神的・倫理的・宗教的な強化指導を行う場所。
建築にあたり、受刑者たちは「ここは神仏の宿る家だから」と、どの建物よりも精魂込めて造ったそうです。
中は、外観とは違う洋風の雰囲気の広~い空間。
戦後は、演芸会や映画界が催され、受刑者たちの憩いの場に…。
出獄
出口まで来ました。
出獄(退場)しま~す。
「お世話になりました」
看守さん、「もう、戻ってくるなよ」と…
またいつか来るかも…。
博物館網走監獄、面白かったです 😄
人形が、けっこうリアルだった!
北海道に住んでいながら、知らなかったことが沢山あったなぁ~。
囚人達が道路をつくったとか、他にもイロイロ…。
博物館 網走監獄 公式サイトより引用
そして、博物館網走監獄は思ってたよりも広かった 💦
東京ドーム3.5個分の広い敷地が、しかも傾斜地にあるのです。
運動不足の私達、少々疲れてしまいました。
2時間30分いましたが、しっかり見れてないなぁ~。
特にパネルの説明とか…
でも、来て良かったなぁ~と思える博物館でした。
また来る機会があったら、もっと じっくり見たいなぁ。
その時は…
ゴールデンカムイを読んでから行こう ❕
博物館 網走監獄 公式サイトより引用
博物館 網走監獄を後にして…
次のお宿へ向かいます 🚗💨
お付き合いいただきありがとうございました 🙇